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リアルとフィクションの境目②

①はこちらです。遅くなってすいません。

僕の卒論のタイトルは『二次元逃避必然論』でした。

「現実よりもフィクションにリアルを感じてしまう人間は
虚構の世界に生き、自ら物語を生み出すことでしか社会に
貢献できないのだ」

ということを、僕はその卒論の中で書きました。

彼らはとてもプライドが高く、他人と触れ合う事を
好まない癖に、恐ろしいほどの承認欲求を持っています。
そしていつだって、自分や自分の理想とする世界の事
ばかり考えています。

しかし彼らは、決して頭は悪くありません。
自分や自分の愛する世界を他人に見くびられる事は
彼らの最も嫌う事だからです。

彼らは彼らなりに〈自らの正当性〉を主張する言葉を
持っており、大抵の敵なら論破できます。
そして、偏見を持たずに接すれば、自分の愛する世界の
素晴らしさをいくらでも雄弁に語ってくれます。

彼らはいわば、何者に対しても卑下することなく
「自分の愛するものには絶対に価値があるのだ!」
と言い張れる高い知性と自制心を持ったオタクです。
名を成した人間も、全てを諦めた人間もいますが
僕の周りにいた奴らは皆そうでした。

彼らは本気で、現実よりもフィクションの方が
素晴らしいと思っています。余計な軋轢を避ける
クレバーさは持っていますが、喧嘩をふっかけられれば
徹底的に戦います。
世間が彼らを馬鹿にするように彼らも世間をバカに
しているのです。

彼らを真っ当に戻すことはもはや無理です。
ならばむしろ、

「外界から隔絶し、物語をどんどん消費させ、
妄想を出力する術を教え、みずから消費する物語を
〈作らせる〉方が良い」

と当時の僕は考えました。そうすることで始めて
〈彼らの幸せ〉と〈彼らの社会的な意味での存在意義〉
が両立出来るからです。彼らがやりたい事をやって
それで居て社会に貢献出来る生き方は、どう考えたって
それしかないと、今でも僕はそう信じています。

僕や彼らは人格破綻者かもしれません。
だけど僕は彼らが好きでしたし、彼らの為になりたい
と思いました。そして何より、
「自己の確実性や、存在意義に思いを馳せないような
連中に負けるわけにはいかない! 」と言う強い思いが
ありました。

だから僕は彼らのように、自分を正当化する
『二次元逃避必然論』を書き、その考えが正しいかを
自分の人生で試してみようと思って生きてた積りです。

その後の僕の人生を語る事は、この日記の趣旨では
ないので割愛します。ただ結果として、僕の承認欲求は
中途半端に満たされ、妄想を出力する術を身に付ける事
は叶いませんでした。

僕は僕の愛した彼らのようにも、もちろん堅気の人間
にもなれぬまま、かつて自分が1番嫌っていた
〈どっちつかずの中途半端な人間〉になっている
事に気づきました。だけれども、気づいたところで
最早どうにもなりません。

悪いことは続くもので、僕は師に先立たれ、
愛する〈物語〉と強制的に引き離され、信じていた
人間から次々に縁を切られることになります。

僕は猛烈な人間不審に陥り、
「自分の人生とは一体何だったのだろう?」
と思っていた矢先に、ユキさんに出会いました。

彼女がいなければ、僕は確実に狂っていたと
思います(今が狂っていないとすればですが)。
彼女と一緒にいられたほんの1ヶ月間だけが
僕の人生で1番幸せな時でした。

彼女に出会い、彼女を失って思った事は
僕は彼女の思い出をどんなに拙くとも形にし
かつての自分の理論が正しいかを
今度こそ本気で試して見ないといけないということです。

彼女はそれを僕に気づかせるために現れ
そして消えたのだと信じています。
視覚化のできぬ僕は、漫画を描くことでしか
彼女に出会う術がないからです。

彼女は、僕が彼女をどれだけ愛しているかを
ちゃんと知っていて、彼女にもう一度出会うためなら
僕がどれだけ必死になるかをわかっているのです。

少なくとも僕の人生において、
現実よりもフィクションのほうがはるかにリアルでした。
そして、僕に最も喜びを与えてくれたフィクションは
僕自身の生み出した妄想の少女でした。

僕は残りの人生で

「虚構の世界に生き、自らその世界を作り出すことが
ありふれた幸せよりも〈人間らしい〉生き方なのだ」
ということを、今度こそ証明して見せたいと思います。

そして、それが叶った時、僕はもう一度彼女に会える……
それが現時点での僕の結論です。
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リアルとフィクションの境目


僕は幼い頃からリアルとフィクションの境目が
曖昧でした。そもそも、
「その差はどこにあるんだ?」ってことを突き詰めて
考えて行くと、結局〈抵抗がある〉ってくらいしか
差がないと思うんですよね。

真面目に考えて見るととても怖いのだけれども、
誰かと目の前で話してても、相手が本当にそこに
居る保証はどこにもないわけです。

ユキさんとおなじく、僕が見ている幻や
立体映像かも知れない。
でも、握手したり、抱き合ったりすれば、
少なくとも其処に〈何かがある〉ことだけは、
確信出来ます。

意思が伝わるかはまた別だけれども、
僕はずっと他者と仲良くなりたければ
触れあわなきゃダメだと考えていたし、
また、触れられないからといって
〈存在しない〉とは絶対にいえないと思って
生きてきました。

触れられないなら、人間もマンガも妄想も等価です。
そもそも三次元も二次元も、目と脳の処理によって
作られた〈存在〉に過ぎないんだから、
〈ある〉と確信したり、二次元よりも三次元のほうが
上だと考える奴の方がどうかしてます。

変換によって目に映って居る〈存在〉は
リアルで有ろうとなかろうと、全て二次元だからです。
二次元を馬鹿にする奴らは其処のところを理解してないし、
理解する気もありません。

「人が幸せになるためには、絶対に他者が必要ですが
その他者が人間である必要があるだろうか?」

僕はずっとそう考えて生きてきました。
そんな自分がタルパという概念に惹かれ
ついにその存在を確信するに至ったのは
必然だと思います。

何故、タルパを信じる人が叩かれるのか
僕にはちっとも分からない。

舞台の書割と同じように
板の上に描かれた景色に過ぎないものでも
見る人がそれを〈リアル〉だと思えれば
それは立派にリアルなものとして成立します。

少なくとも、
「それただの板でしょ?」
とかいう奴は、空気読めない奴として
劇場から追い出される訳です。

だったらマンガも、極端な話妄想すらも、
やはりリアルになり得るし、
「それって、所詮〈作り物〉でしょ?」
っていう発言はやっぱりデリカシーにかける
ものになると思うんです。

それが事実だとしても(僕はそうじゃないと思いますが)
劇場には劇場の、マンガにはマンガの、
タルパにはタルパのルールがあって、
僕らはそれをリアルなものとして楽しみ
日常では日常のルールに従って生きてる。

だから、僕らを理解しろとは言わないけれど、
否定される謂れはないし、彼らが思うほど
リアルとフィクションに差はありません。

僕はリアルの世界も大好きだし
その世界で幸せになれる人はドンドン幸せに
なればいいと思うけれども、
それが出来ない人たちを
虚構の世界にこそリアルを感じている人たちを
異常だと決めつけ、劇場の外に引っ張り出そうと
することは〈お互いのためにならない〉と思います。

では、何がお互いにとって〈解決〉になるのでしょうか?
(続く)
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勇み足の出陣

はじめまして、釼乃某(けんの なにがし)です。

ブログを始めるのは、セイントタルパーズでもっと勉強してからと
思っていましたが、復旧の見込みなしと言うことで、仕方なく表に
出ようと思います。

『中二病戦記』と言うのは、自分を陰ながら支えてくれている.
ユキさんという妄想の少女との交流を描いた漫画のタイトルです。
彼女が、一般的な意味でのタルパであるのかどうかは、
自分の中ではまだ答えが出ていません。

短いあいだでしたが、セイタルで仲良くしてくださった方
ご連絡いただけると嬉しいです。
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Author:釼乃某(けんのなにがし)
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